おまけ人生と人生フェルマータ の続き

で。仕事のことを考えたとして。

仮に良い意味のおまけ人生観を取り戻したとして、それが、よい仕事とよいリーダーにつながる理屈はなに?


そもそも仕事をちゃんとしたい動機ってなんなんだ?ありきたりなのをとりあえず一つ書いてみると
シナリオ①
仕事をして、リーダーをする以上(これはもう前提条件として)、すっきりしゃっきりやっていないと、精神的に気持ち悪いから。気持よく人生を過ごすためには、気持ちいい仕事/リーダシップ/マネージメントをしなくてはならない。

仕事とリーダーが無条件っていうのは、呑んじゃっていいかな…。考えるのめんどくさいから、呑んじゃってもいいような気がしているのが今。でも、考えずに呑んじゃうってことは、つまり無気力無責任ということなのでは。無気力が生んだ役割に、無気力を否定して向き合うのは矛盾しないか?

ここの問題点は、今はこの矛盾に実感的な痛さ伴っていないため、あいまいなままにして、将来苦しむだろうってことだ。将来の苦しみに目が向かない今の自分は、「仕事とリーダーの役割が降ってくるのは、(周囲との相対的な観点から)不可抗力か(しようがないか)」と思っている。もっと言えば、おだてられて、役につかされようとしている(そしてそれがまんざらでもない)のがさらに問題。ようするに、仕事とリーダーの仕事の大変さを実感できないうちに、甘い話だけで引き受けそうになっている。もちろんそのなかに楽しさもあるだろうけど(これいまの文脈では蛇足だけどたぶん大事)。

で、なにも考えずに引き受けた自分と、その尻拭いをする未来の自分の対立。苦しくなったら、もともと適当(適当な自分が、だけど)に引き受けた仕事だし、という逃げ道ができることになる。ナイスじゃないな。

ということは、仕事/リーダーの辛さがヤダから、仕事/リーダー引き受けないという、終始無気力バージョンか(別に考えた結果だから無気力ではないけど)、仕事/リーダーは自分で選んだ道、という納得を得ておくかのどちらかの必要がある。

この話は、間延びしたフェルマータはつらいよというところから始まっているので、前者はじり貧だとして、後者の可能性を探ることになる。ここで登場するのが、"もちろんその中に楽しさもあるだろうけど"という蛇足だった部分。これがなけりゃ、仕事を増やす意味がない。で、仕事もリーダーもやったことがない!ということは、ロールモデルを探して参考にするしかない。

すると、自分の人生で出会った人の中で尊敬できる人とは?というところに、話は戻ってくる。戻ってくるとは、こちらに帰ってきた直後までは、こういうことをちゃんと考えていたという意味で。

ぱっと思いつく人でだいたいこんな感じ

K先生⇒教授
Dr.M⇒マネージャ、研究者、技術者
Aさん⇒研究者、求道者
Fさん⇒マネージャ
Wさん⇒研究者/実験者
Cさん⇒研究者(実験者としては実感がない)
Sさん⇒実験者

この中で、今の自分は自分にとってどこに位置する、と考えてみればいいのでは。最終的にどこに入っていたいのか?今の自分はよくてCさんの位置かもしれない。いや、ただの皮肉屋に落ちてるから、どこにも入れないかな…。

K先生⇒教授
Dr.M⇒マネージャ、研究者、技術者
Aさん⇒研究者、求道者
Fさん⇒マネージャ
Wさん⇒研究者/実験者
Cさん⇒研究者(実験者としては実感がない)
Sさん⇒実験者
あたし⇒皮肉屋

いやすぎる…。目標としてはこんな感じ?

K先生⇒教授
Dr.M⇒マネージャ、研究者、技術者
Aさん⇒研究者、求道者
あたし⇒研究者、マネージャ
Fさん⇒マネージャ
Wさん⇒研究者/実験者
Cさん⇒研究者(実験者としては実感がない)
Sさん⇒実験者

これ、実際に書いてみると、30代半ばで達成の目標って感じだけど。もうあんま時間ないんだけど。

こういう仲間になれことを想像したら、楽しくなりそうですか?At;の語り口、Dr.Mの瞳になれそうですか。なりたいですか。はい、なりたいですね。間違いないな。なれるならなりたい、で十分。具体的な目標に落としてく。