おまけ人生と人生フェルマータ

やっぱり組織のために頑張る的な目標で、自分のやる気を(持続的に)焚き付けることはできないような気がする。そもそもそんな無理なこと考えるなという声もあるかもしれないが、みんな果たしてどうやってんのかなと途方に暮れたときに、おそるおそる手を出してみたい誘惑にはかられるものなのだ。人間弱気になるときはある。

とはいえ、このままでもだめだ、という気持ちもある。会社に対してというのではない。家族に対して?家族に対してという妙な責任感や負担感があるわけでもないが…。家族がいることで、まだ人生まだまだ続くんだなということを、思い知らされた、というのが近いか。人生の長さを直視せざるをえない。

人生終わったものだと思っていた。おまけ人生フェルマータだもん。だけど、無気力で過ごすには長すぎるかもしれない。と言って人生が簡単に円満に終わる予定もないし(別に特別終わってほしいわけでも、終わらせたいわけでもないが。終わったらいいなとは思っているけど)。間延びしたフェルマータで乗り切れるほど甘いもんじゃないかもしれないよ。技術的な問題ではなく、精神的な意味で。無気力疲れ、というようなものか。今まさにそんな雰囲気もある。何かに力を入れようとすると自動ブレーキがかかる的な。おまけ人生観がむしろタガになってしまっているような。

むしろおまけ人生なんだから、たがをはずしませんか?もう一度見直して。まもるもの?ないじゃん、別に。おまけなんだもん。という本来の意味に。おまけ人生と、人生フェルマータを分離しなおす。おまけ人生は軽やかに、フェルマータは優雅に。だるっだるじゃなく。

今は昔と同じ。ただの皮肉屋になっているよ。だるっだる。

という軸が定まっていれば、他人にどう思われようが知ったことではない、という状態に戻れるでしょうかね。